1869年、ニュージャージー州で医師をしていたトーマス・ブラムウェル・ウェルチ博士は、教会で行う聖餐式(※)に、未発酵のワインを使えないかと考えました。
そしてある日、自宅のぶどう園で収穫したコンコード・グレープで「未発酵のワイン」づくりに挑戦します。搾った果汁を密閉した瓶に入れ、瓶ごと沸騰したお湯の中へ殺菌することで発酵を防ぎました。これは牛乳の殺菌方法と同じ方法です。
酵母の発酵を防ぐことができなければ、瓶の中にたまったガスの圧力で瓶が破裂してしまいます。しかし、瓶は破裂せず、数週間後にウェルチ博士が瓶を開けると、中には保存可能なグレープジュースができていたのです。
こうして「未発酵のワイン」づくりに成功したウェルチ博士は、教会の聖餐式に使うように牧師に薦め、ニュージャージー州南部の教会に売り始めたのです。その時ウェルチ博士は、自分が新しい産業を興そうとしていることも、自身の名前がアメリカ中で愛されるブランドの1つになることも全く想像していませんでした。
※聖餐式(せいさんしき):イエス・キリストが最後の晩餐で、パンとワインをとり「これは私のからだである、私の血である」と言ったことから、パンとワインを体の中に受け入れるキリスト教の儀式。
会社が発展していくと、広告活動も積極的になりました。「ウェルチ」の広告は幅広い出版物に掲載され、さらには「エイコーン」という雑誌を自社から発行したほどです。
「ウェルチ」の人気は、1893年にシカゴで開催された世界博覧会への出展で決定的となり、アメリカにおける「国民的飲料」として知られるようになりました。
禁酒運動が盛んだった1913年、「ウェルチ」のグレープジュースが全米中で話題になる出来事が起こりました。当時の国務長官が開いた外交晩餐会でワインの代わりに、その当時唯一のノンアルコール果実飲料でありお酒に代わる自然飲料だった「ウェルチ」のグレープジュースだけが出されたのです。
グレープジュースを飲んでいるアンクル・サムを風刺した漫画は「グレープジュース外交」と呼ばれ、多くの風刺漫画やコラムなどで紹介されたことで、「ウェルチ」のグレープジュースが全米中で驚異的に知名度を上げたのです。
1869年の「未発酵ワイン」というアイデアからはじまり、グレープジャム、グレープゼリー、冷凍濃縮グレープジュースなど、多くのグレープ関連製品が誕生しました。その後も幅広い果物をベースにした製品も扱うようになり、「ウェルチ」は「アメリカのフルーツバスケット」と呼ばれるようになりました。
現在、ウェルチ社の本社はコンコードグレープの名前の由来にもなったマサチューセッツ州コンコードという町にあります。ここがアメリカ生まれの最高品種「コンコード種」発祥の町なのです。そんな「ウェルチ」だからこそグレープへの想いは一層強く、様々なこだわりを持っているのです。
今では「ウェルチ」のラベルが付いた400品目以上の製品が、アメリカ国内だけではなく、世界50カ国の小売店や飲料施設でも販売されています。