炭酸の歴史

  • 炭酸研究
  • 二酸化炭素
  • 炭酸水
  • 炭酸飲料
  • 三ツ矢サイダー
  • ウィルキンソン
  • その他

※各項目で分類しています。

1790

炭酸研究炭酸水の工業生産が始まる
(スイス・ジュネーブ)

ジェイコブ・シュウェップ(スイス)、プリーストリーの友人だった機械技師ポールらと「シュウェップ=ポール=ゴス合名会社」設立。炭酸水の工業的生産が始まりました。

ジェイコブ・シュウェップ(1740-1821) : ジュネーブの時計技師でアマチュア科学者。炭酸水の工業生産に成功した後、ポールらとたもとを分かち、1798年にシュウェップ社を設立。シュウェップの製品は炭酸が弱く、それが天然の鉱泉水に似ていることから高い評価を受け、1831年には英国王室御用達に。瓶の形状が卵型だったことからエッグソーダと呼ばれ、夕食時の食卓用、腎臓病の治療用、重症腎臓病の患者用の3種類がありました。

1850-
1852
年頃

炭酸飲料「ジンジャー・エール」誕生

ベルファストやダブリンで「ジンジャー・エール」が開発され、インド駐在イギリス軍やアメリカへ輸出されました。

1853

炭酸飲料ペリーとともにラムネが日本上陸 !?

浦賀来航時のペリー提督の船には、飲料水の一部としてレモネード(ラムネの原型)が積まれていました。幕府の役人がこれを飲み、日本における炭酸飲料1号となったということが、「開栓時の音(瓶の破裂の音?)に驚き、『さては新式銃か!』と腰の刀に手をかけた」という逸話とともに伝えられています。しかし、これはラムネをビジネス化するためのエピソード広告の類という分析もあり、その真偽は定かではありません。ただし、1854年に長崎に入港したイギリス船に清涼飲料水が積まれていたという情報が残っており、これがレモネードだったのではないかと推測されています。いずれにしてもこの時期に日本のラムネの歴史が始まったと考えられています。

ペリーが持参した手土産は「ビール」だった !?

ペリー提督は、浦賀来航時に手土産としてビールを持参しています。この時の幕府の通訳でオランダ医学者の川本幸民はビールに興味を持ち、自宅でビールを醸造したといわれています(日本で最初のビール製造)。

マシュー・ペリー(1794-1858) : アメリカ海軍の軍人。蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)とも呼ばれています。1853年7月8日、浦賀に入港し開港交渉にあたりました。ちなみにペリーは、ニューヨーク州サラトガの鉱泉水が好きだったといわれています。

1859

その他心臓病に対する炭酸泉の効果が明らか
になる(ドイツ・バートナウハイム)

心臓病に対する炭酸泉の効果が明らかになる(ドイツ・バートナウハイム)

1865

炭酸飲料国産第1号のラムネ誕生

長崎の藤瀬半兵衛がレモネードの製造法を学び、国産第一号のラムネ(レモン水)を販売。※諸説あり

1868

炭酸飲料サイダーの国内製造販売始まる

英国人ノースとレーによる「ノース・アンド・レー商会」が横浜に工場を建設し、ラムネ、ジンジャー・エール、シャンペンサイダーなどの清涼飲料水を製造販売(ノースが支配人、レーが助手)。販売の大半は在留の外国人や外国艦船が対象で、日本人は一部の上流階級に限られていました。

1880

炭酸水「山城炭酸水」

日本人向けに製造された最初の炭酸水。1880年の「東京絵入新聞」に広告(1本20銭)が掲載されています。※ただし資料が少なく詳細は不明

1881

炭酸水天然鉱泉「平野水」の再発見
(兵庫・多田)

外国人接待のための炭酸水を探していた明治政府の依頼を受けたウィリアム・ガウランドが、かつて湯治場として栄えていた平野鉱泉の平野水を“再発見”し、改めて水質を分析したところとても優れていることが分かりました。ちなみに平野鉱泉が最初に発見されたのは、平安時代の安和年間(968-970)で、応徳(1084-1087)に栄え、江戸時代は湯治場として利用されていました。

ウィリアム・ガウランド(1842-1922): 1872年からお雇い外国人として造幣寮(のち造幣局)の技師を16年間務めました。古墳の研究で知られ、日本考古学の父とも呼ばれています。「日本アルプス」の命名者としても知られています。

  • 源泉地室(左側が井戸、右側がポンプ小屋)・2010年撮影源泉地室(左側が井戸、右側がポンプ小屋)
    ・2010年撮影
  • ポンプ小屋に掲出された「源泉地室の表札」・2010年撮影ポンプ小屋に掲出された「源泉地室の表札」
    ・2010年撮影

1884

三ツ矢サイダー「平野水」製造開始=
三ツ矢サイダーのルーツ

兵庫県多田村(現、川西市)平野から湧き出た炭酸水を瓶に詰め「平野水」として製造開始。

1886

炭酸飲料「コーラ」誕生

アトランタの薬剤師ジョン・ペンバートン、前年につくった「フレンチ・ワイン・コカ」をベースに「コーラ」を開発。

1889

ウィルキンソンウィルキンソン、
兵庫県宝塚で鉱泉水を発見

ウィルキンソンが、兵庫県宝塚(現、兵庫県宝塚市)で狩猟の途中に炭酸鉱泉を発見。湧出水をロンドンの分析機関に依頼して試験したところ、世界の名鉱泉と肩を並べる良質な食卓用炭酸水であることが分かりました。

ジョン・クリフォード・ウィルキンソン(1852-1923)

ジョン・クリフォード・ウィルキンソン(1852-1923) : イギリスのヨークシャーに生まれ、1876年初来日。1880年に事業家を志して再来日、大阪鉄工所(のちの日立造船)を創業したエドワード・ハンターが経営する平野精米所の技師を務めました。炭酸水事業を興した後は、宝塚の鉱泉近くで外国人客を対象にした洋式高級ホテル「タンサンホテル」も経営しました。

1890

ウィルキンソン「仁王印ウォーター(タンサン)」発売

ウィルキンソンは、当時宝塚で温泉会社を営んでいた保生会社がラムネも製造していたことを知り、その事業を譲り受けます。さらに製造設備をイギリスから取り寄せ、1890 年、天然炭酸鉱泉水「仁王印ウォーター(タンサン)」を発売。日本での事業を開始しました。胃腸を仁王のごとく強くするというコンセプトから仁王像マークが使われていますが、この仁王はウィルキンソンがモデルともいわれています。

「仁王印ウォーター」のラベル 「仁王」の顔部分拡大 ウィル キンソン「仁王印ウォーター」のラベル 「仁王」の顔部分拡大 ウィル キンソン

1897

三ツ矢サイダー「三ツ矢印平野水」が
御科品として採用

宮内省侍医局員の山田薫薬学博士が各地の鉱泉を巡視・分析した結果、「三ツ矢印平野水」が東宮(当時の皇太子、後の大正天皇)の御料品に採用されました。

1899

炭酸飲料サイダーの始まり

横浜で「金線サイダー」の製造が始まりました。※時期については諸説あり

1901

ウィルキンソンウィルキンソン、王冠
(クラウンコルク)の使用開始

ウィルキンソンの炭酸水は鉄を腐蝕する力が強く、王冠のコルクを通して口金部分に穴が空き、炭酸水がにじみ出してしまうという事態が発生。研究を重ね、コルクと口金の間に入っているパラピン紙を錫(すず)に変える方法で解決しました(1907年頃)。

ウィルキンソン、王冠(クラウンコルク)の使用開始

ウィルキンソンの王冠。王冠(クラウンコルク)は、1892年にアメリカの発明家ウィリアム・ペインターによる発明。形状が貴族がかぶる王冠に似ていることから、その名が付けられました。

1904

ウィルキンソン「ウヰルキンソン タンサン」発売

周りに「タンサン」という商品が増えてきたこともあり、混同を防ぐために商標を付けた商品名を「ウヰルキンソン タンサン」に変更しました。工場を現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬に移転し、「宝塚工場」として操業開始。

  • 赤白黒の3色に統一された工場は住民の注目の的だった赤白黒の3色に統一された工場は住民の注目の的だった
  • 宝塚工場での瓶詰作業宝塚工場での瓶詰作業

「ウヰルキンソン タンサン」は一流ホテルに常備される高級品として普及しました。一方で、国内で市販する量は少なく、販売はフィリピン、米国、カナダ、シンガポールなど海外を中心に販路(国内外27カ所)を広げていきました。

1907

三ツ矢サイダー「三ツ矢印平野シャンペン
サイダー」発売

「平野水」が、炭酸鉱泉水からシャンペンサイダー(シャンパン風の色合いを出すためにカラメルで琥珀色に着色)へと生まれ変わりました。

1909

三ツ矢サイダー「三ツ矢サイダー」の通称を使用

「三ツ矢シャンペンサイダー」の“シャンペン”を省略した「三ツ矢サイダー」の通称を使用。

三ツ矢サイダー三ツ矢サイダー

1910

三ツ矢サイダー夏目漱石、「平野水」を飲む

胃潰瘍に苦しんでいた夏目漱石は、入院中に「日に数回平野水を一口ずつ飲ましてもらう事にした。平野水がぐんぐんと音を立てるような勢いで、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった」と記しています。また、漱石の二男が冷蔵庫の「平野水」を「サイダー」と間違えて飲み、(甘くないので)あわてたという思い出話も残っています。なお、漱石の「炭酸水」好きは、ロンドン留学中に「胃弱」の症状に良いとされていた「炭酸水」を飲んだことがきっかけかもしれません。

夏目漱石(1867-1916) : 英国留学中に極度の神経症に悩まされる。帰国後、一高、東大で教鞭をとります。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」など話題作を発表。その後、東大を辞し、新聞社に入社、創作に専念しました。「明暗」執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。

1921-
1926

三ツ矢サイダー宮沢賢治、「三ツ矢サイダー」
を飲む(天ぷらそばとともに)

宮沢賢治は花巻農学校の教師時代、「やぶ屋」というそば屋が行きつけでした。「ちょっと一杯」という時は、お酒ではなく「サイダー」を天ぷらそばと一緒に頼むのが“賢治流“でした。そのサイダーは、時期から考えて「三ツ矢サイダー」と思われます。

宮沢賢治(1896-1933) : 岩手県花巻生れ。1921(大正10)年から5年間、花巻農学校教諭。山野跋渉を文学の礎としました。教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立、農業技術指導など、農民の生活向上に取り組みました。

1945

三ツ矢サイダー戦艦大和でも飲まれていた
「三ツ矢サイダー」

戦艦大和の「酒保」(艦内の売店)には、サイダーが常備されていました。三ツ矢サイダーは「軍用品」としてのレシピが残されてることから、日本軍に納められていたと考えられています。

1966

ウィルキンソンウヰルキンソン ジンジャーエール、
ドライジンジャーエール、レモネード、トニックの4品種を新瓶にて発売

瓶の形状と三角形のフレーバーロゴのデザインは、「口紅から機関車まで」をモットーに流線型デザインで一世を風靡(ふうび)したフランス出身の著名デザイナー、レイモンド・ローウィー氏が手がけました。
※2015年 グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞

ローウィーデザインの三角ロゴ、瓶ローウィーデザインの三角ロゴ、瓶

1968

三ツ矢サイダー「三ツ矢サイダー」が
透明飲料として発売開始

「三ツ矢シャンペンサイダー」から現在の「三ツ矢サイダー」となる。子供にも安心して飲ませられる清涼飲料水としてアピール。

1979

ウィルキンソン東京サミットで「ウヰルキンソン
タンサン」が飲料水として採用

「ウヰルキンソン タンサン」が、日本で初めて開かれた東京サミットのテーブルウオーターとして採用されました。これは、ガス入りのミネラルウオーターを食事の際に飲む、ヨーロッパの習慣を日本人が知るきっかけとなりました。

  • 東京サミットで「ウヰルキンソンタンサン」が飲料水として採用
  • 「ウヰルキンソン タンサン」「ウヰルキンソン タンサン」

1989

ウィルキンソンロゴのカナ表記を
「ウィルキンソン」に

「ウヰルキンソン」から「ウィルキンソン」へと変更しました。

2004

ウィルキンソン「ウィルキンソン」100周年

2011

ウィルキンソン炭酸水の直接(ストレート)飲用
というスタイルが広がる

「ウィルキンソン タンサン」のPETボトル(500ml)発売。

「ウィルキンソン タンサン」PETボトル「ウィルキンソン タンサン」PETボトル

2013

三ツ矢サイダートクホ「三ツ矢サイダープラス」

「三ツ矢サイダー」初の特定保健用食品、“食後の血糖値の上昇を抑える”「三ツ矢サイダー プラス」発売。

2014

三ツ矢サイダー「三ツ矢サイダー」130周年

2016

三ツ矢サイダー炭酸市場初のWトクホ
「三ツ矢サイダーW(ダブル)」

“食後の血中中性脂肪の上昇をおだやかにする”“食後の血糖値の上昇をおだやかにする”のダブルの機能を持った「三ツ矢サイダーW(ダブル)」発売。

「三ツ矢サイダーW」「三ツ矢サイダーW」

2018

ウィルキンソン機能性表示食品の登場

“脂肪の吸収を抑える” 機能性表示食品「ウィルキンソン タンサン エクストラ」発売。

「ウィルキンソン タンサン エクストラ」「ウィルキンソン タンサン エクストラ」

2019

ウィルキンソン「ウィルキンソン タンサン」発祥の地に「天然たんさん水 この下にあり」100年前の石柱復元

兵庫県宝塚市湯元町の宝来橋のたもとに、100年前にあった「天然たんさん水 この下にあり」と刻まれた石柱(川の氾濫などで消失していた)が復元され、ウィルキンソン タンサン発祥の地を今に伝えています。

※炭酸の歴史情報は、参考文献をもとに当社が独自で整理したものです。

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