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| ◎威風堂々のウィルキンソン氏。遠い異国の地にあっても、持ち前のゆとりと遊び心を失うことはなかった。それが彼に幸運をもたらしたのであった。 |
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クリフォード・ウィルキンソン氏。クリフォード・ウィルキンソンタンサン鉱泉株式会社の創業者です。1872年(明治5年)に来日した彼は、その後幸運に恵まれることになります。1889年頃(明治22年頃)、氏は兵庫県有馬郡塩瀬村生瀬へ狩猟へ出かけました。その折に、たまたま炭酸鉱泉を発見したわけですが、これが並のものではなかったのです。
鉱泉水をロンドンの試験所へ送って分析したところ、医療用・食卓用として世界的名鉱泉である、との折紙がつけられたのです。そこで氏は、この鉱泉のびん詰を企画、1890年頃(明治23年頃)に資材、設備いっさいを英本国より取り寄せて生産を始めました。当初は仁王印ウォーターとして発売しましたが、1904年(明治37年)、ウィルキンソンタンサンと名付け、国内はもとより国外(27ヶ所)にも販路を広げました。
ヨーロッパでは良質の飲料水が得がたいので、昔からミネラルウォーターが食卓水として使われていました。日本では明治になって外国の重要なお客様に出すための良質の食卓水を明治政府が積極的に調査。その結果、三ツ矢平野水やウィルキンソンタンサンが世に出ることとなったのです。
1901年頃(明治34〜35年頃)、日本で初めてクラウンコルク(王冠)を使用したのも同社であり、1905年(明治38年)1月、資本金50万円の株式会社となりました。
1923年(大正12年)ウィルキンソン氏は世を去り、その息女ミセス・ブライスが経営に当り、1935年(昭和10年)から孫のH.C.W.ブライス氏が経営に携わりました。
太平洋戦争勃発後、経営者がイギリス人だということで工場は接収され、1943年(昭和18年)には川西航空が使用するに至りました。終戦後、同工場はふたたびウィルキンソンの手に返り、タンサン工場として復活しました。これを機会に、これまでのタンサン水と並んでオレンジジュースの製造を開始し、1950年(昭和25年)にはアメリカのゼネラル・フード・コーポレーションと技術提携をし、新しい機械を取り入れ、同社の特許品“バヤリース”を作りました。これは当初進駐軍専用の飲み物でしたが、1952年(昭和27年)に一般向けに広く売り出されるようになると、国内でたちまち“バヤリース旋風”が巻き起こりました。
その際に国内一手販売契約を締結したのが朝日麦酒株式会社で、後に商標権を取得、受託生産を行うようになり、1990年(平成2年)まで同社工場は宝塚に昔のままの姿を保っていましたが、古い工場は取り壊されたため、現在はアサヒ飲料明石工場にて生産されています。 |
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